モノ語りヒト語り

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桜満開!セールは燃える。座るな!金次郎。

いつも桜満開の中、春のセールは盛り上がる。花見のついでに立ち寄って頂くお客様も多い。

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くらしのくらの脇道にある桜満開の呑川(のみがわ)近辺です。4月3日撮影

今回の春のセールは二宮金次郎(尊徳)先生にお出まし願った。戦前から戦後すぐに生まれた世代にとっては、小学校の中に必ずあるといっていいシンボルである。よく働き良く学べ!と校庭の端で語り掛けていくスタイルである。昔の子供は仕事を手伝わされ、学校にも行く事ができず、独学をしたのか、偉いなあ。と感心はするものの、もはや薪を山に取りに行く家庭はほとんど無く、石油ストーブで暖をとる生活になっていたので、すでにリアリティの無い教訓的な銅像であった。

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確か、二宮金次郎の一代出世話は教科書に載っていたような気がする。だから、その記憶のある世代にとっては、懐かしさがあると同時に、昔の道徳教育が思い出されて複雑な気分になる方もいらっしゃるに違いない。だが、戦後も各地の小学校に二宮金次郎像が残っていたということは、あのGHQもその勤勉さを認め撤去させなかったということかも知れない。

二宮金次郎は今で言う企業再建コンサルタントのような人である。それを戦争へ向けて国が利用し、啓蒙のシンボルにしたことには問題があるが、貧乏な百姓から侍にまでなった二宮金次郎は当時のジャパニーズドリームの象徴といっていいであろう。このニッポン人の打たれ強い勤勉さは、一方で理不尽なことに対する怒りを和らげる役割をはたしているような気がする。働きながら学ぶ努力と同じように、書を捨てて世の中の不条理に歯向かっていく金次郎も今は必要なのである。

だが、今の若い人にとっては「これ、昔の歩きスマホだ!」と妙な親近感を抱かせ、保護者や先生は交通事故にあう可能性があって危険だ、となるらしい。今と昔は違うことを理解しろとか、金次郎を座らせる前に大人が歩きスマホを注意するほうがずっと大事だと、声を大に言い切る大人がいなくなった。そして、「座っている金次郎」が増えていく時代となる。
ちょっとしたクレイムに右往左往し、その場しのぎをしていくことの多い今の「迎合民主主義ニッポン」には二宮金次郎先生も「ビックリポン」であろう。

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